2015年1月15日木曜日

飛田晋秀さん

ラジオでインタビューを聞きながら、
先日郡山市役所のロビーで拝見した写真展の方かな? と検索したら
HPがありました

飛田晋秀「福島のすがた」 
http://www.hida-fukushima.com/

◆郡山市役所では「3.11で止まった町」 展が1月20日まで開催中


インタビューで「私は報道カメラマンではないです」 と言っておられたことを
重く感じました
もともとは郡山市近郊三春町の職人さんたちを撮っておられたとのこと
それが震災で、撮らずにはいられない、記録して伝えずにはいられない
新しい被写体が生まれてしまったということ


三春町は張り子の人形で有名なのですって
先日出会ったこのコたちはどこで作られたのかな


復興の進捗や見通しについて
ネガティブキャンペーン、ポジティブキャンペーンなどと言われるような
あきらかにひとつの方向に集約・加工されたような情報も混在する中で

ありのままを、自ら撮って自ら場に立ち、伝えるという
写真や言葉や… (それ以上にその方の生きざまかな…) を
私は私が見たひとつの事実として、受け止めたいです

県内では様々な努力の末、ある程度の日常を取り戻せた個人・地域もある一方
どうにも回復困難な地域・個人がなんら変わることなく、むしろ悪化・廃退の一途で
存在し続けていて。。。

その両方が、ひろく、正しく、伝わりきれていないのかもしれません・・・
偏見や誤解や情報への疑念を晴らし理解を育てるほどには

いろいろなことが混同されたりもして 
どの立場に身をおいても、自らを理解されている実感に乏しくて
もどかしかったり、やりきれない想いになるかもしれません・・・

飛田さんのように丁寧に語り続けているひとはきっとたくさんいるに違いなくて
出会えるかどうか
キャッチできるかどうか

転居してから半月あまり
地元局のラジオから流れる話題にしばしば手が止まります

どれも新潟に居た時には聞くことのなかった話

受け止める側にも様々なことが突き付けられ
緊張感があります


放射能汚染にまつわることについて書く時にはいつも
つくづく勝手なことを書いてやしないか?と自問します

12月に書いた「今わかること」の時も
「言い方がとても難しい」と書きましたが

誰を代弁しているつもりもなく
むしろ誰かを傷つけていないかと気になりますし

言葉として放つことの難しさや重さを感じて
何度も書き直したり保留に戻したり・・・

それでも書きたい、発信したいと思うのは
わからないなりに今の立場で感じたことを
覚えておきたかったり
家族友人知人たちに伝えたいという気持ちの方が強いから

共有することでまた語りあえると思うから
気付かなかった視点を指摘してもらえることもあると思うから

四方八方を気にして語られなくなることの方が
コワイことだと思うから

どうぞよろしくですm(__)m