2016年8月20日土曜日

カウントダウン

お盆休みは多方面にハラハラし通しでしたが
なんとか、いずれもギリギリオッケー
概ね予定通り、郡山に戻りました


父の容態は日々変動し、ICUと個室を行ったり来たりしていますが
その合間にリハビリも始まり、念願の帰宅に向けて前進している部分もあり

危篤な事態にならないよう、がんばる父をよそに
旅程の変更を招いたのはまさかの相方の車のトラブル


旅行初日の高速道路でJAFさんのお世話になる~( ´△`;)

事故渋滞のノロノロ運転中に車が止まってしまったのよ~∑(;゚ω゚ノ)ノ プスン
追い越し車線から路肩まで車を押して、腕の付け根が3日間筋肉痛になったのよ~

追突などされなかったこと、自分たちが渋滞の原因にならなかったことを
スーパーラッキーとして
車を最寄り(通り過ぎてきた盛岡)のディーラーに預けて
レンタカーでの旅に変更

レンタル会社に残っていたのは商用車が1台のみ!ということで
いわゆる「バン」でしたが、あっただけでラッキー☆

ほぼ新車状態だし、荷台も広びろ
私も安心して運転できるオートマだしね♪

以後、「日産のバン」を見るたびにこれまでにない親しみ感で
お疲れさんス( `ー´)ノ と言いたくなります(*´∀`*)


JAFの助手席

トラックの座席は視線が高くて好き~(*´∀`*)
などと言っている場合ではないよ

どこがトラブったのか
お盆を挟んでの修理上がりはいつになるのか
直った車はどこで受け取るのか(また盛岡に取りに行くのか?)
等々・・・

気がかりはひとまず荷台に詰め込んで
気を取り直してさあ陸奥路!


この日行きたかったお目当てにはもちろん寄れず
八戸の宿に着いたのは予定よりも大幅に遅れた夕刻のこと
翌日からの日程も大幅に見直すこととなりました

それでも万事オッケーなのはどうしたことか

今回は秋田行きを諦め、青森県内のみを回ることにして
旅程のゆとりを取り戻し
日本海側に抜けずに東北道を再び戻ることにしたところ・・・
ちょうど帰路につく日に納車できるという知らせ!

すんなりと盛岡に立ち寄ってお車交換
なにくわぬ顔で帰省に向かうことができたという・・・

この上ない采配!

天に感謝


青森の空は青かった

とても遠かったけれど、とてもよかった
また行きたい!

訪ねた先々の話はまたそのうち改めて


まずは・・・ 引っ越しまであと11日└(゚ロ゚;)┘

がんばります!!
ε=ε=ε= ┌(;´゚ェ゚)┘


2016年8月6日土曜日

7月26日~8月3日

今年の神様はいろいろなサプライズをよこしてくる
私が日々を呑んのんと過ごさないように?

物事にはリミットがあるということを、忘れた頃を見計らって思い知らせる
パンチのある急展開続き

ギリギリでもクリアできるラインで示してくれていると信じたい


その日は友人Kちゃんと
初めてベビちゃん(9か月)も伴って出かけたスペシャルな日で

Kちゃんの手際の良さとベビちゃんのご機嫌の協力もあって
ランチと、氷と、コーヒーと・・・ まさかのハシゴでフルコース
初めてのお店やおしゃべりをたっぷりと満喫した


夕方からの時間帯に別の友人からのうれしい誘いもあったのを
ブッキングしなかったのは虫の知らせか

夕方、一息ついていたところに母からの電話
急きょ、長岡へ向かう


頭をよぎる悪い想像は確信をもって打ち消して
運転に集中する
父はこれまでも幾度も復活を遂げてきた地ヂカラのあるひとだから


このところとても調子がよかったので一同、予期せぬ急変に動揺


初めて泊まった家族控え室
昨年の大手術の時だって、夜は揃って帰宅したのだけれど
今回は滞在しておくことを勧められた


翌日からは交代で


31日の夕方は病院裏の土手散歩
父の様子に不意に不安がふくらんで・・・ 気分転換
ICUはずっと付き添っていられない分、看護が手厚いのでしばらく病棟を離れることもできる

川風がやさしかったからか
夕空があまりに美しかったからか

いつになくメソメソしながら相方にメールをすると

 「今を生きるんや ( ̄ー ̄)」


はひ (。-_-。)


今一番がんばって生きているのは我が家では父に違いない


8月1日 個室に移ったものの依然苦しそう
母が病室に泊まる


2日は長岡花火初日
私が泊まり担当で、あわよくばロビーから… と期待したけれど
結局それどころではなかった


快復に伴い、しゃべりたくてたまらない父
入れ歯を外していることもあり、それ以外の問題もありで
簡単な言葉以外はさっぱりわからない

もどかしい父の苛立ちはよくわかる
手製の文字盤を使ってなんとか解読を試みる

ようやく書き起こした言葉が辛辣でガックリ

弱音を口にすることのない父が
「たすけてくれやぁ」と訴えたように聞こえたのは
夢うつつ、勝気と弱気の拮抗した闘いのさなかだったろうか

夕方から終始不機嫌だった父が寝入ったか?
というところで一瞬、ロビーへ行ってみたけれど


。。。ですよね(-_-)ゞ 病室に帰る

息をするようにうめき続ける父の傍らで音だけの花火鑑賞

前日に交通事故で運ばれてきた男の子やご家族のことも
案じられてならなかった

この夜のことは
どんな記憶になっていくだろう


3日、波はあるもののある程度落ち着いたと聞いて郡山に戻る

昼の付き添いが結構ハードな状態なので (しゃべり&癇癪対応)
4日からは母・兄も夜間の付き添いまでは無理をしないことになった

それで何事かあったとしても
それは精一杯やったというもの

最後は父の生命力

センセイも言っていた
医療はあくまでもサポートで、最後は本人の免疫力と回復力です、と

それが尽きたものを生かし続けてもらうことは
父も望んでいない

でも策ある限りは闘い続けるハードボイルドな父


またいつ呼ばれるかドキドキしつつ
まずは引っ越しの荷造りを進める

果たして夏休みの旅行には予定通り行けるのか

途中で駆け付けねばならなくなった場合のルートも含め
旅の予習もしなくては

まずは新潟へ引っ越すまで、なんとか乗り切ってくれますように
来月の誕生日を、また揃ってお祝いできますように

* * *

勝手なお願いばかりなのは
とっくに見透かされている

前回のサプライズ(予定より早い異動)は
今回の出来事(父の再入院)とセットの采配だろうか

間に合うように
万障繰り合わせてくれたに違いないと
これまた勝手な解釈をして八月をしのぐ希望にする