「おしゃべり不足」 を患いました
楽しいことがないわけでもないのに
このモヤモヤ感は何だろう? と思ったら・・・
ワタシ、おしゃべり不足!!\(◎o◎)/
溢れる感情や言葉を、放つことなくこんなにも飲み込んでいたのかと
それがこんなにもストレスになろうとは
驚きました
上越から新潟に転居した時とはまた違うのです
あの時は上越への恋しさが大き過ぎたし
暮らしの激変に予想以上にダメージを受けたとは思うけれど
そんなにいろいろなことを考えることもなく
何がしゃべりたいって、
笑えるようなたわいもないことばかりだったのだけれど・・・
転居当初、ものすごーーーく考えなくてはならなくて・・・
それも確信の持てないような
正解の無いようなことばかりで・・・
ブログもそれなりに言葉を選んで書いていたので
本当に話したいことや問いかけたいことはやっぱり飲み込んでいて・・・
それらを口に出したかった
答えが欲しくてというよりも
私はひとまずこう思いますが貴方はどうですかと
対話することで確認したかったし掘り下げたかったし
考え違いなら指摘されたかったし
気付いてないことには気付きたかった
でも、誰に聞く? 誰に話す?
この街、唯一の友人と夫にばかり
不安とモヤモヤの解消につき合わせるわけにはいかない
こんな時いつも、そら屋があったらな、て思う
いろんな知恵者に上手に分散するんである( ´艸`)
でも、そうか、これが「黙する」ということかと
今は修行、と思って外を向かずに成すべきことを成せと
しばらく手元のことに専念したりもしたのだけれど・・・
キツかったな。。。
タチってものがあるよね
おしゃべりなヤツからおしゃべりを取ったら
やっぱりイケナイ
多分私だけじゃない
多くの女性はしゃべることで確認するし
自分の世界を保っている
女がかしましいのはしょうがない
ともかくしゃべりたかった
まずは放射能のことを
転居前に付け焼刃の情報で覚悟したことと
実際に暮らして日々食べ物を買う時の
気持ちのギャップたるや・・・
自分で自分がショックだった
スーパーの売り場で何を買うこともためらわれるような心境や
存分に深呼吸できないような息苦しさから
早く抜け出したかった
そんな気持ちを溜めてたら
やっぱダメだって
黙る訓練も少しは必要かもしれない
ちょっとは耐える努力もしてみた
自問したり文献を咀嚼して自力で答えを見つける力も大事だと思う
でも私は同じくらいかそれ以上に
しゃべれるひとと出会う方向に努力したいんだな。。。
半年が経とうとしている今
求めていた場に出会うことができ、大変ありがたい流れの中にいます
黙する修行、終了~(*´∀`*)
黙しながら何かを育てているらしき亀・・・
えらいな(。-_-)
画像上2枚は3月中旬の新潟市西区の辺り
作付準備の整った海岸沿いの丘陵地帯
美味しいスイカの産地ということもあって( ´艸`)
ウキウキする大好きなエリア
下3枚は昨年に続き行くことのできた笠間の陶炎祭
追ってレポート・・・ できるかな~?(^-^: