2015年3月21日土曜日

永田泰大さんのコンテンツ補足

須賀川市」で紹介した「ほぼ日」永田泰大さんのコンテンツのひとつ
「書きかけてやめた、福島のことを、もう一度。」 
http://www.1101.com/fukushima/2012/index.html

には、「大和田さん」と「上野さん」が登場するのだけど
「大和田さん」は、「までぃ 」の記事でも触れた地元ラジオ(RFCラジオ福島)
のパーソナリティー「大和田 新さん」で
「上野さん」は、大和田さんの番組「月曜Monday(もんだい)」に
先頃ゲストで出ておられた方であるとすぐにわかった私は・・・
すっかり福島県民(*´∀`*) 

という話ではなく

私は、図らずも永田さんが2012年にレポートした方の2015年の心境を
聞く機会を得ていた・・・ という話


ラジオの中で、上野さんたちが「あの日」からと今日までを語る言葉は
おそらくこれまで何度もこんなふうに取材されながら語ってきただろうけれど

とても重いものでした

その時聞いたことを思い返しながら、今回、永田泰大さんの文章を読み
永田さんの文章で、ラジオの話を補いながら
改めてその意味を 理解 して

愕然としました


永田さんが3年前に上野さんに出会った時から
一体何が解決しただろう。。。
何が希望に変わっただろう。。。。

ラジオの中では、パーソナリティーの方が
初めて会った頃の上野さんはもっと怒っていたし、もっと怖かった
とおっしゃっていたけれど

永田さんがレポートした2012年の上野さんの心情と
ついこの間のラジオで聞いた2015年の上野さんの心情は
一体どれほどの違いがあるだろうか。。。


もちろん、ゼロじゃない
上野さんはこの4年の日々の中で出会った確かなものを携えて
ラジオで語っておられたと思うけれど


でももしも私が永田さんの2012年の文章を読んだだけだったなら
それから2年半が過ぎた現在は、いくらかでも明るい方向へ変わっている・・・
と いいな・・・ と希望的に思いながら読んだに違いなく
私の中の期待値は、もっと遠いところにあったに違いなく・・・

それがいかに的外れで
現実を知らないがゆえのことかということを
思い知らされて。。。

うなだれるしかありませんでした


でも、だからこそ、
ラジオがリアルタイムで「今」を伝えてくれること
文字にしたものが残り、時を経て読ませてもらえることに
感謝します

「3.11」を何かしら意識して過ごしたひとの中には
メモリアルなニュースを見聞きしたり、自らも発信したひともいれば
あえて聞かなかったひと、あえて発信しなかったひと
いろいろ居たと思うのだけれど

私は、
「あの日」以降、発信し続けてくれているひとたちがいる、
ということのすごさを思いながら過ごしていました


だって、終わってないのだもの
区切れないのだもの

震災も、復旧も、復興も
こころの痛みも。。。


それを知ることができるのは
終わらない日々に付き添い、伝えるひとたちがいてくれるから

「揺れ」で破壊されたひと
「津波」に全てを流されたひと
壊れず、流されなくとも、放射能への不安が今も色濃く残る地域、暮らし
複合的な被災をしたひと

いろんなひとがまだまだ復興の途上にあって
様々な難しい判断を迫られ続けていて
もちろん福島第一原発は収束していないし
闘いは続いていて。。。

地元のラジオは日常的に被災地&原発・放射能関連の話題を届けてくれるし
ネットでもそれらを進行形の問題として発し続けてくれるひとたちがいる


永井泰大さんの「書きかけてやめた、福島のことを、もう一度。」は
現在からまだそう遠くはないこと、と思って読んでほしいです