つくづくスゴイと思う
出来事そのものを、なるべく歪ませることなく
自分が感じたことを、自分の言葉で
できる限り本意のままに届くことを願って
文章にする
って、とても難しいことだと思うから
届くんだなぁ・・・
届いているよ!!
って、伝えたくなるような文章に出会うと
私は本文とは別の方向にも感動してしまう
最近では、「ほぼ日」の永井泰大さんのコンテンツがそうだった
新連載の
◆「福島県須賀川市公立岩瀬病院のこと。」
http://www.1101.com/fukushima/2015/2015-03-11.html
と、2012年7月に書かれた
◆「書きかけてやめた、福島のことを、もう一度。」
http://www.1101.com/fukushima/2012/index.html
動けるものは動く
歌えるものは歌う
手をとれるものは手をとる
そういうことと同じように
義務とか仕事を越えた衝動のような
ひとの営みのひとつとして
書けるものは書く
ということについて想う
決して容易なことではない
私の手元には、言葉にしきれない
伝えるための力を与えきれない書きかけが
増える一方だ
折しも本日3月20日の「ほぼ日・今日のダーリン」
(糸井重里さんの日々更新エッセイ)は、「できることをしよう」という話だった
楽にできる得意なことだけでなく、「なんとかできること」を、ほんとに「しよう」よ、と
そこには覚悟を伴う「決断」がある、と
※今日の「今日のダーリン」は明日には更新されて読めなくなります
明日は明日のダーリンが
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2011年7月に書かれた
◆「福島の特別な夏。」
http://www.1101.com/fukushima/index.html
と、2013年8月に書かれた
◆「福島の夏2013。~選手宣誓~」
http://www.1101.com/fukushima/2013/index.html
は、まだ冒頭しか読んでいないけれど、丁寧に読みたいと思う
須賀川市は、郡山市のすぐ南隣り
1月に訪ねた時の、なんともいえない町の景色の違和感を
永田さんの文章に、そうだったのか・・・ と思い返す