2014年10月20日月曜日

親心

日曜日

母は外出と聞いていたけれど、別用もあって実家に立ち寄り
父に伝えた

まだ自分も、おかあさんも、元気だから

と言ってくれた父は
脚だの腰だの、歳相応におぼつかなかったりもするのだけれど
今日の小春日和、午前中はひとりで自室の大掃除をしていたのだと
この後は庭仕事をするのだと
付け加えた


2年間、不要不急の荷物を預かってもらう打診についても
いつもは実家に残してある私の私物に苦言を呈すところ
快く応じてくれた


相方の車は転居時に一緒に乗って行くとして
私の車はどのタイミングで持っていこうか

転居はおそらく年末年始
未経験レベルの気温の低さと路面凍結は想像も及ばず
3月頃まで実家近くのガレージを借りておこうか・・・
春になったら、二人で取りに来ようか・・・

そんな話をしながら

じゃあ春になったら、おかあさんと電車で訪ねるか

○○さんの奥さんは八戸に住んでいたことがあるから
近く会ったら聞いておく、「いい酒蔵があるかとか」・・・  
そう言う父は、最近は糖分を気にしてもっぱらビール党だ


私を旅人間に育てたのは、おそらく主には父だと思う

小さい頃からの家族旅行
そのうち、兄と二人で高田の祖母宅へ行ってこいと、
電車の乗り換えや時刻表の見方を教えてくれた
中学に上がる時だったか、ひとりで神戸の親戚の家まで行ってきた後は
愉しくもどれだけ緊張したのか、熱が出て新入学早々の学校を休んだ

何かが変わる時には、大きく失ったり、熱を出したりするのだという
その時、私の放浪体質は仕上がったのだと思う
地元を出ることを切望しながら思春期を過ごした


なんでも、できるようになったほうがいい
いろんな場面で、そう言って育てた

県外へ進学することも、さらに西の地で就職することにも
バイクに乗りたいと言った時も、反対はしなかった

唯一、学生時代の旅においては、ヒッチハイクすることにだけ反対した
自分で運転する乗り物で何事かある分には仕方がない、と思ったのだろうか
だから沖縄にもフェリーにバイクを乗せて行った


大人になってからも、大きな心配をいくつもかけた

それらを思えば、2年、それも国内、それも連れ添う人がいる今回なんて
父からしたらほんのちょっと長い旅行みたいなものか・・・


と、私に思わせてくれたのだと思う



母と二人で見送ってくれる時はさっさと玄関に入ってしまうのに
今回は、私が角を曲がるまで
ずっと見送ってくれていた