2015年11月8日日曜日

『はじめての福島学』

このひと、相当ウンザリしているんだろうな・・・ 
と思いながら
こういう文体・スタンスで書かざるをえないことが
今の福島(の人の発信)のひとつのカタチなのかな?
と思ったりしながら、主旨を見失わないよう努めました

『はじめての福島学』 開沼 博 著 


特に前半、
「外野の声」の差し込み方が・・・ コレはなんなんだろう?

同調以外の「疑問」を持つことをためらわせるような
異論を投げかける者への戦闘モード・・・?

統計データを元に福島の現状を語るという本旨
じゃないところで疲れました

ラジオでお話を聞いた時はこういう印象ではなかったような~ と思いつつ
あまりにもあまりなので
この本はどういう位置づけにあるんだろうか?と思って検索したら
「cakes」というサイトに著者と上野千鶴子さんの対談がありました
https://cakes.mu/posts/9323
↑無料登録では全部は読めないのですが、読めた部分だけでだいぶスッキリ


上野さんの指摘する所の
これで「福島学の看板を名乗ってもらっちゃまずいかもしれない」 以下、
「福島学」というからにはと期待したところへの肩透かし感
ほとんどが既存の県の統計データであること(これでは「福島県学」である)
「福島」or「フクシマ」の表記のこと

そして何より
「誰を読者ターゲットにして書いたの?」
という問い  

著者としてはこれらの問いは全て「折り込み済み」とのことで
それぞれに解があり、ずいぶん理解の助けになりました


著者は、ネット上で交わされる悪質なデマや誤解、講演で直接投げかけられる批判や
バイアスがあるがゆえの対話の届かなさから
「福島への誤解と、誤解がはびこっている状況そのもの」を「仮想敵」として
ひとつには「デマゴーグ」たちをターゲットにして書いているとのこと

はーーー 「仮想敵」に向けて書いていたのでしたか(*_*)
それで戦闘的な匂いぷんぷんなのですね


そういう執筆スタンスについて、私はやっぱり上野さん寄りで

理解を深めるための対話を生むために、
という本来の目的を遠ざけてしまうように感じて
疑問に思ってしまうのだけれど

開沼さんの考えは違うそうで
本書を「福島へのありがためいわく」な言動をする人たちに対する
釘さし・物申す場のひとつにしたかの様相

ただ、著書の後半では比較的穏やかなトーンになり
~「普通の人」に福島の問題を考える入り口を提示する~
ことが本書の目的である、とも書かれていたので (アレ?

困ったオーディエンスへの苛立ちが、冷静な執筆を削いだ感はぬぐえません


自分が暮らすこの地について理解を深めたいのとあわせて
新潟に居た頃の自分が読んだら?
福島にゆかりのない知人たちが読んだら?
などと思いながら読んだのですが

データの取り出し方について違和感のある部分もあったし
今回あえて「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」「子どもたち」
という「ビッグワード」に頼ることを避けて福島を語る、という挑戦をされたということで
当然の結果ですが、コレが全てではない、という印象が先立ちました

それらの「ビッグワード」によって、
震災以前からある問題や、全国的に地方に共通する問題が正しく理解されず
福島県の本当の姿がわかりにくくなっていたり、無知・誤解によって
外の者が絡みにくくなっている、という指摘は全くその通りかもしれません

が、その禁じてのために、逆方向に、照射されない日陰が生じた感があること
(それも著者「折り込み済み」のようですが
を承知で読むのがよろしいかと思います


「福島」を漢字で書くか片仮名で書くかというところでは
(私は福島第一原発事故由来の社会問題を総じて指す時はカタカナ表記にしていますが
著者が今回あえて漢字表記にした意味を前述の上野千鶴子さんとの対談で理解するに・・・

原発・放射能問題のイメージ以外の部分について、正しく伝え直すことに特化した、
という意味で「フクシマ学」でなく「福島学」なのだと思えば
内容の偏りもコレでよいのかもしれない、と思います


ただ・・・ 
実際に現在の福島を語る上では
「ビッグワード」に代表されるテーマを避けるのは
無理があるのではないか、というのが実感です

まだまだ「ビッグワード」にまつわる部分で少なからず迷い、悩み
それぞれの立場での苦労・心労を振りはらいながら、努力を絞り出し
住まいや食生活や子育てを考え、今日を生きているひとたちがいる
それらの根底にある問題の実態に触れること無しに、この地を語れるのかな?

誤解や過剰反応やデマ、極論が混在していることの問題については
別のところで語られるべきで
(それこそ「フクシマ学」の一項目にできる事象かもしれません

「ビッグワード」を避けることなく、
むしろそれを前提条件として正面から捉え直した上で
そのために見えにくくなっている側面をいかに正確に露わにできるか、
という苦悩こそが「福島学」の一端だったりしないかな・・・


な~んて
いわき市ご出身で、積年のフィールドワーク等を通じて
震災前後の県内のことは誰に劣らずご存知のはずの著者の
意図あっての「はじめての福島学」のありようなので・・・
さしでがましくごめんなさいねーーー

今後の展開をなんとなく気にしつつ

今回の結論としましては
ボリュームと執筆エネルギーのさき方として・・・

やっぱ、前半、ダメでしょう (-"-) 

というのが私の感想でした(。-_-。)


しかしながら
そのウンザリな前半部分こそが
開沼さんの苦悩のカタチともいえま

ビッグワードを避けたところでやはり苦悩するという( ̄ー ̄)



ビッグワードに頼らない、というだけで
避けてなんかおらんねん!避けられへんねん!
と、言わずもがなで示してくださっているのだとしたら・・・

まわりくどい手法~(/_;)
周回遅れで了解ですけども(。-_-)