2014年12月9日火曜日

今わかること


わからないことがたくさんあって

ある程度まで調べた後は、それをどう受け止めればいいか
知人たちにどう思っているかを尋ねたり、語らったりしながら
心の置きどころを探してきた


今の福島をどう思うか

今の郡山に暮らすことをどう思うか

原発事故のこと

復興計画のこと

いろんな立場のひとがいること・・・


新潟で暮らすみんなはどう見ているか
というのを、聞きたかった

全くの他人ごととは思っていないながらも
「切迫した」当事者ではないがゆえのもやもやとした心模様を
それぞれに、みんな、正直に、答えてくれた

親しいひとも、その日その場で初めて会ったひとも

ありがたかった


答えを出したいわけじゃない
先に行ってみなければわからない、というのは誰しも一致するところ

科学者たちでさえ意見は様々で
専門家はどの立場に居るかで言うことは変わるし
雑多な意見の中には、国内の暫定基準に対してだけでなく
世界基準にさえ疑問を呈しているものも見かける

そんな中で、何をどう選択したらいいのか…

みんなも実際に自分が本当にそこで暮らすとなったら、もっと考えると思う
具体的に知りたいことがきっとたくさんあると思う

私はそもそも今の放射線量の数値を
どう受け止め、どういう程度のものと判断すればいいのか
というところからわからなかった

わからないよ(T_T)

ということを、一緒に笑ったりお酒を飲んだり、共に生きているひとたちと
語らいたかったのだと思う

タブーや遠慮無しに

問いかけに応えてくれる人間関係がある、ということが
多分、私が求めている一番の 「答え」


雪の町にも、風の町にも、坂の町にも
私には、問いかければ応えてくれるひとが居る


昨日も送別していただいた場で
随分年上のひとに同じ問いかけをさせてもらった

同じくフクシマについての「答え」はわからない

でもひとつ、話を聞いているうちに確信に変わったことがある

私が行動する範囲においてのことだけれど
もちろん 

数字や政治的状況については
これからももっと学んだり、冷静に判断していかなくてはならないとして

それ以上に大事なのは

わからないお化けにちっちゃく怯えることではなく
どこに居ようとも、そこで何をするか
己が持っている条件の中でどう生き、どう全うするか
ということ


そう思えたのも
これから私が身をおく環境は、(あくまでも私にとっては)
そっちに比重を置いていい程度の数値
だと判断できたから
これは言い方がとても難しい
た別途
これも同じくとても重要なこと

国や誰かが安全ですと言えば安心できるのですか?
本来、個々人がそれぞれの責任で判断するものなんだよ
むかし昔は国家なんて無かったんだから

会話の中で語られたこと


思考と行動の重点がガツッと転換した

これまで既にいただいていたたくさんのメッセージが
すべてパチっとパズルに収まったような瞬間


おかげさまで
ココロの置きどころ
ようやくおさまりがつきました



生きざまや、してきたことが説得力になるって
かっこいい

昨夜は人生の大先輩のような方々が送別会をしてくださったのだけれど
期待を、希望を、伝えてくださりたかったのですね…

ものすごい贐(はなむけ)の言葉をいただいたと思います
大切なことの根本のようなこと

ありがたく、確かに受け止めましたと
私も行動で示せるひとになりたい
まだブレっブレだけど(/_;)

それでいいんだって

達観なんてできなくて
どれだけ実績や年齢を積み重ねても
心配したり歯ぎしりしたり
それが一生懸命生きているってことだって☆

そのへんを一番確かに受け止めましたかも(*´∀`*)
これからも間違いなく揺れます
生きてるから