郡山で迎える2度目の3.11
この町に居る限り
復興や原発のことを、大なり小なり考えない日はない
帰省したり旅行に出ると
不意にそういう「気掛かり」から解放されていることに気付く
距離によって薄れていくものがあることのやむを得なさ
離れれば思うことの減るであろう後ろめたさ、居心地の悪さも
すでに知りたる渡り鳥、哉・・・
けど、鳥は運ぶよ・・・
伝えるよ・・・
帰ったら帰ったで向こうには刈羽原発があって
モンダイはつながっているのだけど
現段階での精神的な圧迫感はもう全然違うと思う
そういう意味でも
そういう意味でも
被災した人たちの「保養」はまだまだ必要なのだと思う
文末にて補足
やはり、ことのほか、重い
親しい人のバースデーが大事であるように
大切な人の命日に特別な意味があるように
数日前からここぞとばかりに特集される「その日」の記録を
出来る限り受け止めながら
語らったり (語らえるお友達ができた!!
関連する集まりに出かけたり (出かけるようになった!!
胸つまりそうになりながら (コレは変わらず!(>_<)
このところを過ごし
書きたいことが溜まっていく中
今朝、ひとまずコレ!と書きたいことを定めて
昨年の今頃は何を書いたっけ?と振り返ったら。。。
あら~~(*´∀`*)ゞ お・ん・な・じ
今年も書きたいのは、ぼぼ日 のコンテンツのご紹介です(。-_-。)
「ほぼ日」には震災に関するたくさんのコンテンツがありますが
◆東日本大震災のこと
http://www.1101.com/20110311/index.html
その中で、この3月11日に始まったコンテンツ
◆「東日本大震災を実感していない自分は、震災とどう向き合えばいいんだろう?」
http://www.1101.com/intern_matsuzaki/index.html
の、大学3年生のマツザキさんの本文も大変よいのですが
文末におすすめコンテンツをピックアップしてくれている中に
まだ読んでなかったのがひとつあって・・・
◆高橋宗正+糸井重里 対談 「写真に何ができるんだろう?」
http://www.1101.com/takahashi_munemasa/index.html
・・・という発想が、どうやら昨年の今頃と全くおんなじなんですね(-_-)ゞ
昨年書いたのはコレ→ 「須賀川市」
トピ立てするほど詳しくないのでココにて
原発事故に関連する「保養」の主な目的は
自主避難や転居はできないとしても、特に子どもたちは
時々は放射線量の低いところで過ごし、免疫力を高めましょう
という主旨であるようですが
何も気にしていないようにふるまっている大人たちも
何かしらの圧迫があるのではないかなぁ・・・ と思うにつけ
春休み、みんながいろんなところでひと時でも
解放される時間が持てるといいなぁ・・・ と思ったりする一方
被災者を「招待する」的な保養は国内では減少しつつあるようで
受入れ側の事情もいろいろあるだろうけれども
かのウクライナでは、「チェルノブイリ法」にのっとって今も尚、
というか今こそますます、というくらいに行われているのだそうで
(ロシア経済の問題で必ずしも国家予算ではなく基金によるものだったりはするそうですが
「保養」は権利なんだって!!
先日の「ラジオフォーラム」(←3月末で終わってしまうとのことΣ( ̄ロ ̄lll)ですが新番組に期待
で独立メディア「OurPlanet TV」代表の白石草さんが語っておられました
彼女の取材がコンパクトに紹介されているものがありました
http://www.alterna.co.jp/13781