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2017年3月31日金曜日

『ヨレヨレ』と『へろへろ』

検定試験が終わって
横に置いていた読書も再開


友人から借りた雑誌『ヨレヨレ』の
創刊号から第4号と


店頭で見つけられなかったので図書館で借りた
『ヨレヨレ』と同じライター・鹿子裕文さんによる『へろへろ』

******

「宅老所」なるものを実践をもって全国に知らしめ広めたという
福岡県にある「宅老所よりあい」のリアルな日々を
笑いたっぷりに綴る文章に
猛烈に引き込まれました


読みながら、妙に泣けて仕方なかったのだけれど
「感動」という類いには分類したくない気持ち

半分は笑い泣き
そして驚嘆

認知症のお年寄りとの日々は
熱くて

とほうもなく眩しい




父の晩年や、同じく老いていく母の今後や
私たち自身の将来の暮らしを思うにつけ

どうありたいか、老いた時にどうあれたらしあわせかという希望は
多くのひとに共通している部分があるようなのだけど
多くの場合は希望通りにいかないようで・・・

けれど、それをどうにかこうにか、資材を集め私財も投じて
山を削る、というより山を築くかのごとく実現してしまったひとたちがいて
(その猛烈な日々=総工費3億円を稼ぐとか、が綴られています

煮えたぎる魂の力技を前に
「ひれ伏して」などいてはいけないと思うのだけれど
「ならば行動あるのみ」と思うからこそ

いろんなものが刺さる
 (もちろん刺すのは自分なのだけど

ただ、なぜこんなにもひかれたかといえば
目指すものの「要素」がそこに綴られていたからで

気を取り直してそのことに焦点を当て直す
おぼろげなイメージを確かなものにする力に代える



「老人介護施設」発信の媒体であること
のイメージを覆すことに全力を注がれた雑誌『ヨレヨレ』は、
シュールでリアルな笑いを幾重にも練り込んだ文章と
当時10~12歳のモンド君の味わいたっぷりのイラストが秀逸で
私も購入して手元に置きたかったのだけれど残念ながら現在は廃刊

事情は「宅老所よりあい」のホームページに書かれています

でも他にも書籍はたくさん出てるのですね!
◆「宅老所よりあい」の本 http://yoriainomori.com/?page_id=208

支援はいろんな形でできます

ホームページからは、
『ヨレヨレ』そして『へろへろ』が書かれた頃
(老人介護施設「宅老所よりあい」に加えて
(地域密着型特別養護老人ホーム「よりあいの森」をなんとか仕上げた頃
とはまた違う次のステージに、施設の皆様は差しかかっている様子

作って終わりではなく
そこからが始まりであるという
気の遠くなるような
まさに終わらない熱い物語が
日々繰り広げられていることが伝わってきます



雑誌『ヨレヨレ』は最終的に所有者の友人にお返ししますが
どなたに読んでいただいてもどうぞ、とのこと
読みたい方、お渡しできそうな方がいらっしゃったら
ご一報くださいませ

***********

友人のブログ「ココチノ」での紹介記事

ソフィーさんの後に私がお借りしました
旅する雑誌『ヨレヨレ』
次はどこへ旅するのか?(できるのか??

こんな時、つなぐ「場」がないことを心底残念に思うけれど
その分、自分自身があちこちに放浪できているのだから、よしとしなくては

今は旅する時
それを満喫する時
いつかまた全部役に立つ


「宅老所よりあい」のホームページ内
よりあいのあゆみ に
「理念とよべるものがあるとすれば~」以下に書かれていること
実に共感します

よりあいの森カフェ は
著書『へろへろ』で書かれている様子がホントによくって…

そういうこと だ
支援とか交流とか、肩ひじ張ったことでなく
自然なかたちで存在し合うこと、ケハイが混じり合うこと

さりげなく、なんてやれそうもないことを
さりげなくできるように、仕組む(仕組みを創る)のだなぁ。。。


2017年1月26日木曜日

『ふたりからひとり』

新年の読み始め

『ふ た り か ら ひ と り ~ときをためる暮らし それから 』

つばた英子・つばたしゅういち (聞き手・水野恵美子)
(自然食通信社・2016年12月5日発行)


昨年6月2日にしゅういちさんが旅立たれた後
英子さんどうされているかな・・・ 大丈夫かな・・・ と
きっと多くのファンが気にしていたことでしょう


なんの、英子さんはやはり逞しかった!


英子さんの思いや新たな暮らしについての聞き語りには
手を動かし、日々を積み重ねてきたひとの
ぶれない力強さを感じます

在りし日のしゅういちさんご本人の語りが織り交ぜられているのも
うれしい (-_-。)


私はしゅういちさんの手業が好きで
これまではそちらに焦点をあてて読みがちだったのですけれど

今回は英子さんの言葉に教わることがとても多くて・・・
改めて、ていねいに読み返したいと思います

そして自分はどうするか

憧れのひとと同じようにはできなくとも、ね

あれこれ考えて
年はじめをワクワクする方向に引き上げる


さて、映画も随分観ていませんでしたが
久々の映画鑑賞はこちらの予定

 「 人生フルーツ 」

新潟シネ・ウインド 2/4(土)~2/17(金)上映予定
2月のお楽しみ


2016年6月13日月曜日

『大坊珈琲店』

映画「A FILM ABOUT COFFEE」で
生産者、バイヤー、コーヒーショップのオーナーたちの想いが語られ
スペシャルティコーヒーやエスプレッソなど
現在の世界の様々なコーヒーシーンが紹介される中に

東京・青山にあった「大坊珈琲店」(2013年ビルの解体で閉店)が登場する
というのも楽しみにしていたことでした

その名店とオーナー・大坊勝次さんのことは
「ほぼ日」の糸井さんとの対談 の範囲でしか存じないのだけれど

その閉店の折に出版されたという著書は、
励みに、とか、憧れ、として手元に置くというのは違うような
(大坊さんの本意ではないかもしれないけれど
だいぶ畏れ多いような特別な存在で

書店で手に取っては棚に返し、を繰り返していました


『大坊珈琲店』大坊勝次 著

この機に合わせて スミマセン 借りてきておりました(。-_-。)

上映会から帰って一気に読みました
映画で拝見した「大坊さん」と店内のたたずまいを思い出しながら

著書ではご本人はコーヒーを淹れる時は「固まる」と表現されるのだけど
固まっているのはネルに乗せたコーヒーの粉にお湯を注いでいる時のことで

あとは、カップを選び、セッティングを済ませ、
豆のを天秤で計って挽き、きちりと静かに、ためらいなく、流れるように
動いておられるような・・・

おそらくは店内の様々なことに意識を配りながら


そんな「動く大坊さん」と、店内の空気を
映画で感じることができてよかったです


そしてすっかり失念していたのですが
大坊さんは盛岡のお生まれでした!

ナイスタイミング!
先ごろからの 盛岡LOVE(*´∀`*)は、ここにもつながるのでした


******

観るのによい時
読むのによい時があるね

「偶然」を生かせるタイミグを
引き寄せ、掴め


映画を観たあと、いそいそと帰って淹れたのは
少し前に帰省した折に訪ねた
十日町は mealcraft さんの季節のブレンド
「ベリーローズ」

その日は、両親と十日町の美術館まで
父にとっては1年ぶりの遠出ドライブ

シートを起こして座り続けるのはまだ疲れるみたいだったけれど
ようやく車の振動が傷にひびかなくなったのだとか

美術館に着いた時は
しばらくソファーに横になっていたけれど
帰路はエントランスから駐車場まで歩けたし
出かけられるようになって本当によかった

あちこちできれいなバラが咲き誇る季節のブレンド「ベリーローズ」
例年いただいていると思うけれど
今年のは殊のほか香り高く、美味しいと思いました

至福の珈琲に感謝


2016年2月22日月曜日

『原発労働者』

多くの犠牲の上にこの便利な暮らしがあることは
重々感じていたのです

それを居心地悪く感じつつも
リアルな実態は直視してこなかった、ということの居心地の悪さ・・・
ここにきてマックス

福島第一原発事故後の一般市民の被曝問題を考えるにつけ
原発収束現場の作業員や、除染作業員のことが、

食品中の放射能による内部被ばくを考えるにつけ
農業従事者の外部被ばく・内部被ばくのことが、気になって・・・

もはや知らずにはいられない心境の折

目にとまったのはその名もズバリ 『原発労働者』 寺尾紗穂 著 




現場は深刻な問題を幾重にも孕んだもので
社会全体の労働問題であり、地方経済の問題であり、貧困の構造でもあり

ゆえに健康と引き換えの不安定な就労であっても
その仕事が無くなれば困るひとがいたり

プライドを持った職人が支えてきたという現場も今は昔
電力自由化に伴う効率化の流れと共に労働者教育や技術指導にかける時間も
定期検査期間さえも短縮され、結果的に安全がおろそかになっている実態・・・

そして、それらを原発労働経験者が本名で語ることの難しさ等々

静かな筆致でしたためられていました

************

以前読んだ、漫画 『 いちえふ ~福島第一原子力発電所労働記 』竜田一人 著
のお陰で、現場の様子がなんとなくではあるもののイメージできたのは
理解する上でいくらかの助けになりました
(リアルな現場はもっと凄いに違いなく、私には想像しがたいです


ちょっと脱線ですが
『いちえふ』関連で調べていたら毎日新聞に興味深い連載があったので
リンクします 「福島をどう描くか」


竜田さんの漫画は、東日本大震災による事故後の原発収束作業に従事した
ご自身の経験を元に現場の具体的な作業や空気感、一作業員の心情等が描かれています

寺尾さんの著書では、1990年代~
事故以前・事故当時・事故後それぞれに従事していた方々に取材した内容を通して、
一人ひとりの(語るには重い)人生を垣間見つつ
それらが社会的な問題であることを浮き彫りにしています

「彼ら」ではなく目の前の「あなた」と向き合い
原発を「わがこと」として考えるための試みとして

「“わがこと”として考えることが非現実的だというならば、せめて現場の声に
耳を傾けること、状況を変えようと動く人に協力していくこと」の最初の一歩として


この本を読むまで、私はこの期におよんでも尚
どこか「遠いところ」の話と思っていたようで

第1章の中越沖地震後の新潟県・柏崎刈羽原発で働いた方の証言に
ようやく「わがこと感」がリアルになった気がしました

ニイガタはこういう方々の作業のお陰で守られてきたのだと

もっと住民が、国民が、知るべき・知らされるべきことが

たくさんあると思います

***************


・原発は、使用済み燃料の処分方法が未定なだけでなく

・最終処分を含めれば全くコストメリットのない、「高い」、否「高過ぎる」電力であり

・事故時でなくとも稼働に、点検に、
放射性物質を大気中にも海水中にも放出せざるをえない構造であり

・温室効果ガスであるCO2を排出しないかのように言う説には
トリックがある上に

・事故時には極めてハイリスクでありながら、熱効率はわずか30%にすぎず

・残るエネルギーは温水として海洋放出する(海水温上昇)という問題に加えて

・ウラン燃料の採掘・加工・運搬の問題があるばかりでなく 

・膨大な従事者に健康被害を及ぼす被爆労働無しには立ちゆかない電力
でありながらその労働実態は闇の中

・従事者の健康と人権はないがしろにされ続けるという
日本社会・・・  _| ̄|○


冒頭に書いた私の心境を、寺尾さんは
「今この瞬間も、私はひとを踏んづけて生きている」
と表現していました

そう
それくらいのこと。。。


2016年2月16日火曜日

エッセイ漫画「しんさいニート」

ラジオで作者の方が話しているのを聞いて検索してみました

エッセイ漫画 「しんさいニート」 カトーコーキ

書籍化が決まったとのことで
ブログ内でフリーで読めるうちにどうぞ、とおっしゃってました ^-^


内容は

重くて・・・

とても一気には読めない重さですが・・・


あの絵が
 
妙に惹きつけるというか


魂の叫びなのだと・・・

伝わってきます




舞台として登場する「南相馬市」や「小高区」は
こちらに来てからしばしば耳にするようになった地名です

つい最近、知人との会話で登場した「原町区」はまさに
この作者のご実家があった場所だそうで、
遠くないところの話なのだと改めて、今いる場所のことを思ったり。。。

ご実家近辺は2011年9月末までは緊急時避難準備区域だったとのことですが
同じ区でも一部は今春の帰還を目指す避難指示解除準備区域であり

海岸部には津波と原発事故両方の被害を受けた地域があって
放射線量が高い故に捜索活動もままならなかったことなども聞くにつけ

福島県内には本当にいろんな形の被災があって
それぞれの個人・家庭の避難・帰還の判断があって、
補償のされ方も異なっていて、
同じ地域の住民であっても、共感できることもあればできないこともあると

唯一わかることは自分が経験したことだけだと、
著者・カトーさんが 答えているインタビュー も読みました



『しんさいニート』はまさに当事者・本人にしか書けない事実・葛藤・胸の内

誰を責めるでなく、自分が体験したこと、その中で考えたことを伝えたい、
誰のためでもなく自分の人生のために、と絞り出されたもの

まるごと受け止めました



2016年2月15日月曜日

憧れのひと

もう何年も前に雑誌に紹介されていたのを拝見して以来の
憧れの人

つばたしゅういちさん・英子さんご夫婦の菜園生活が記録された本は
私にとって特別なもの


記録が大好きで本棚にはファイルがずらりのしゅういちさんが描く
敷地やキッチンガーデンの見取り図や
英子さんのおもてなしの食卓の図

整理整頓が得意なしゅういちさんが作る、木の板の「伝言板」や
ペンキできれいに塗り揃えられた作業道具、中身を書いた「名札」たち

そのどれもがたまらなく好きで・・・


ご夫妻の本は、枕元に常時スタンバイ
読まずとも在るだけで、いつでもほわっと、時にうきっと、
した心持ちで眠りにつくことができます



そのしゅういちさんが不帰の旅に出られたと知ったのは
昨年11月、書店で最新刊を見つけ、
(いつものごとく)先に後書きを立ち読みして・・・ のこと

えっ




その場で泣きそうでした。。。   (/_;)


でも、それはそれはしゅういちさんらしく
「お昼寝をしたままの、安らかな」旅立ちだったとのことで・・・

嗚呼。。。 最後の最期まで。。。  なんてかっこいい 。・゚・(>д<)・゚・。


********************


そして一方で、英子さんのその後が
一ファンとして、とーーっても気になっていたところ・・・


明日!2月16日(火) 出演番組が放送されるのですって!!

Eテレ 21:00~21:25
NHKきょうの料理 「つばたさんちのキッチンガーデン」

翌日17日には総合テレビで11時~ 再放送!


うれしい~~~!!  楽しみです☆☆☆



2016年2月6日土曜日

羆嵐 (くまあらし)

もう一冊、最近恐れ入りましたのはこちら
吉村昭 著 『羆嵐』

夫が読みふけっていたので聞いてみると
とにかく記述がスゴイ、と
書き出しだけでも読んでみたらいいかもよ、ということで・・・

フルに読みましたとも (。-_-。) 


表紙からしてコワイんですが (゚-゚;)


裏返してもコワイです (ll゚Д゚ノ)ノ


1915年(大正4年)に起きた北海道・苫前三毛別羆事件という
日本獣害史上最大の惨劇、を描いた小説(初版発行1982年)

綿密な取材と資料をもとにした記録文学作家として名高い著者、の
緻密な光景描写の素晴らしさったら・・・!!!


北海道入植者たちの厳しい暮らしぶりや家族・共同体のありよう等々が
映像のごとく目に浮かび

淡々とした語りは、村を襲い、人を喰い荒らした羆(ひぐま)への恐怖と
闘いの凄まじさをリアルに伝えます


これが実話だなんて<(ll゚◇゚ll)> 

寝入りに読むには怖すぎ(>_<)


北海道に棲息するヒグマ(羆)と本州にいるツキノワグマ(熊)は
漢字も違えば性質も全く別物であること、
そして自然の過酷さについても、今更ながらに思い知らされました

こういう時代があって、開墾の歴史があっての、今の世なのですね。。。

***********

数ある吉村昭作品の中でも 『三陸海岸大津波』は
東日本大震災の後、5万部が増刷されるほどの大きな注目を集めた
記録・解説作品であるとのこと
(初版は別タイトルで1970年・昭和45年・中公新書  / 現在は文春文庫で再版




読了ののち、タイミングよく郡山駅前「ギャラリー観」さんで見かけた
「福島おもしろカルタ」の「」には思わず苦笑い 

検索したら ソノラバーガーさん が画像をアップされていたので拝借↑<(_ _)>


◆「ぐまでねーならあんしんだ」 そうそう( ´艸`)コレコレ


◆「んこいのはわかるけれども」

◆「っぱりひぐまだっぺよ」 Σ( ̄ロ ̄lll) ひいっ



イラストだと胸元に三日月じるし(ツキノワグマのしるし)があるみたいだけれどもよ?
ひぐまだっぺか?( ´艸`)


カルタには他にも熊ネタものがありました
それくらい福島県内では身近な存在なのかな・・・

相方もガウガウに出会ったくらいだしネ  → 仔熊日記

実は私も、秋の磐梯山で獣の声を聞きました
ガウ、っていうか  ゴウッ っていうか・・・ <(ll゚◇゚ll)>
先に気配を察知したのは相方

お邪魔しましたーー(ll゚Д゚ノ)ノ  即行退散
茂みの向こうの声の主はなにものであったか
知らぬが仏





「福島おもしろカルタ」
福島駅西口にある「コラッセ福島」内の福島観光物産館でも
ファイリングして1枚1枚見られるようになったサンプルと共に
展示販売されていました


2016年2月5日金曜日

『この世にたやすい仕事はない』

津村記久子 著



読ませる~~~  

巧い!さすが☆  


心地よく没頭

内容には触れません
気になった方はぜひどうぞ ^-^ 

************

この小説と前後して、彼女のエッセイを読めたのもよかったです

スイスイ読める文章を書ける方は
もれなく非凡であり努力家であり、ある種の才能の持ち主であると
改めて

『二度寝とは遠くにありて思うもの』
『やりたいことは二度寝だけ』     まずタイトルがよいでしょ( ´艸`)

エッセイの方は、期待とは裏腹に
小説以上に描写が細かい上、ある種のマニアックさ全開で
実はスイスイ・・・とは読めず(-_-)ゞ

彼女が日常の中で触れるもの、目に留めるもの
表現に用いる単語、自然に生まれ出る言葉
書かれているものたちから察する限り
津村さんの棲息域(?)次元(?)は私とは随分違うように思われ

しばしば読み飛ばしたりもしたのですが(。-_-)ゞ

にもかかわらず
小説では

現実とファンタジーの境界にあるような津村ワールドを
違和感なく思い描かせてもらえるというのは

やはり彼女の描写力のなせる技!


エッセイが自然体に近い日々の綴りだとすると
小説はだいぶ幅広い読者に配慮して書いて下さっているような印象

削いで、磨いて、足しては、引いて・・・
描写は「細かい」ではなく、「丁寧」と感じられる域へ


エッセイに垣間見る彼女独自の感性や観察や無数に書くというメモが
小説に昇華され開花するのだな~~

と大きく感嘆


2015年12月15日火曜日

『民主主義ってなんだ?』

高橋源一郎×SEALDs

この1年の終わりに読めてよかった1冊


高橋源一郎さんはやはり対話を大切にするひとで
言葉には希望が託されていて

好きだなぁ。。。。

どこかに向かって生きているなら
私もそんなふうに生きていたい


終わりは始まりで
歴史も課題も全てが継続していくことなのだけど

少しだけ、もやもやが整理されたような

光の指し示す先を感じながら一年を締めくくれること
幾らかの手がかりを持ちながら新しい一年に向かって行けること

現状を楽観視しているわけでもないのだけれど
なんだかうれしい

その気持ちを大事にしよう


現・安倍政権になってからというもの
私の中でも「民主主義ってなんだ??」の問いが芽生え
前ブログでは頭の整理に、思いついたままを書きつらねずにおれませんでしたが・・・
読み返すとお恥ずかしい限り(。-_-)

一方こちらの本はスゴイです

「民主主義」を2500年前の古代ギリシャまで遡り 
歴史や哲学や社会学や政治学や・・・
ちゃんと学問を踏まえた上で現代に照らし合わせた見解であり
学ぶだけでなく民主主義を実践として行動している面々(そこが重要だと思う)
による対談です

民主主義と、立憲主義と、デモクラシーと・・・
イデオロギーなのか制度なのか・・・
至るところ咀嚼しきれないので解説はいたしません

学生たち、すごいな~~
学問て、こんなふうにしたら愉しいんだね~
というひくーい次元でも感動してごめんなさい

でもね、最後の方にいい言葉が引用されていました

「無知とはモノを知らないことではない、
疑問を発せられない状況のことだ」 by.フランツ・ファノン


疑問を持てたら 始まり、ってことで(。-_-。)


とはいえ、いきなりソクラテスもプラトンもアリストテレスも
読めそうにないので
次は源一郎センセイの『僕らの民主主義なんだぜ』を
読むといたします



「実践」としては、今の私にとっては
これを書けることが民主主義かな・・・

この本や政治について語り合える人は
こちらに来てからは家族以外にはまだいない

新潟時代には、いたんだなぁ・・・ 
同世代で語り合えるひとたちが
あの出会いは奇跡みたいだった
どこにでもあるわけじゃない

あ、でも郡山でもおひとり!
「どんな本、読むんですか?今、何読んでますか?」って聞いて下さって・・・
「高橋源一郎さんの・・・*^-^*」って言うことのできた方が☆

他のひとだったら、違う答えをしたかもしれない
・・・ナチュラルクリーニングの本、とか?

それも関心事項には違いないのだけど
もっと気になっているのは世のこと政治のことなんです~
とはそうそう言えない(。-_-)

「面白任務」関係のその方は
原発や放射能のことなどもストレートにお尋ねできるひと

やっぱり、奇跡じゃないのかもしれない
求めれば出会えるものなのかもしれない

と思いなおす

2015年11月10日火曜日

伝えることの難しさ

『はじめての福島学』の感想で
本旨ではなく論じ方についてあれこれ思ったのは

「郡山コミュニティーラジオ・ココラジ」で録音放送された
第5回市民科学者国際会議・2日目の講演 

岡山大学の津田敏秀先生が
主に放射線を研究する科学者間での情報交流や精査について
「説得や弁論を成り立たせるにはどのような要件が必要か」
ということについて語るのを聞いたところだったから

師曰く、

アリストテレスの哲学によれば
エートス(聞き手が論者にある印象をもつ)
パトス(聞き手の感情が動かされる)
ロゴス(証明による説得)
が必要であると

ロゴス=データーを用いることは必須であるとしても、それだけではない、
という点で、「自分も磨いていかなければなりません」と
笑いを誘っておられたのが印象的で

私も気をつけよ~(/_;) と思いつつ
こんなにも違和感をもたらした今回の開沼博さんの手法はどうだろうか?
と考えずにはいられなかったのでした


あわせて思い浮かべるのは語り上手な方々のこと

開沼さんが『はじめての福島学』で示したような
データにもとずく「事実」プラスアルファについて
私はこちらの生協「あいコープ」を通じて教わることが多いのですが

それはとても穏やかな、対話を交えてのもので
私が発する疑問ひとつひとつに丁寧に、現段階での解、として答えをいただき

その対話がこれからも継続される環境にある、ということが
この街で暮らす上での最大のラッキーであり、
安心感をもたらしてくれるものだと思うにつけ。。。

対話と語りの手法を精査することの重要性を考えずにはいられません


難しいけど

穏やかに、科学的に、建設的に
というのがいいなぁ


一冊の本から深まりました、のハナシでした(*´∀`*)


2015年11月8日日曜日

『はじめての福島学』

このひと、相当ウンザリしているんだろうな・・・ 
と思いながら
こういう文体・スタンスで書かざるをえないことが
今の福島(の人の発信)のひとつのカタチなのかな?
と思ったりしながら、主旨を見失わないよう努めました

『はじめての福島学』 開沼 博 著 


特に前半、
「外野の声」の差し込み方が・・・ コレはなんなんだろう?

同調以外の「疑問」を持つことをためらわせるような
異論を投げかける者への戦闘モード・・・?

統計データを元に福島の現状を語るという本旨
じゃないところで疲れました

ラジオでお話を聞いた時はこういう印象ではなかったような~ と思いつつ
あまりにもあまりなので
この本はどういう位置づけにあるんだろうか?と思って検索したら
「cakes」というサイトに著者と上野千鶴子さんの対談がありました
https://cakes.mu/posts/9323
↑無料登録では全部は読めないのですが、読めた部分だけでだいぶスッキリ


上野さんの指摘する所の
これで「福島学の看板を名乗ってもらっちゃまずいかもしれない」 以下、
「福島学」というからにはと期待したところへの肩透かし感
ほとんどが既存の県の統計データであること(これでは「福島県学」である)
「福島」or「フクシマ」の表記のこと

そして何より
「誰を読者ターゲットにして書いたの?」
という問い  

著者としてはこれらの問いは全て「折り込み済み」とのことで
それぞれに解があり、ずいぶん理解の助けになりました


著者は、ネット上で交わされる悪質なデマや誤解、講演で直接投げかけられる批判や
バイアスがあるがゆえの対話の届かなさから
「福島への誤解と、誤解がはびこっている状況そのもの」を「仮想敵」として
ひとつには「デマゴーグ」たちをターゲットにして書いているとのこと

はーーー 「仮想敵」に向けて書いていたのでしたか(*_*)
それで戦闘的な匂いぷんぷんなのですね


そういう執筆スタンスについて、私はやっぱり上野さん寄りで

理解を深めるための対話を生むために、
という本来の目的を遠ざけてしまうように感じて
疑問に思ってしまうのだけれど

開沼さんの考えは違うそうで
本書を「福島へのありがためいわく」な言動をする人たちに対する
釘さし・物申す場のひとつにしたかの様相

ただ、著書の後半では比較的穏やかなトーンになり
~「普通の人」に福島の問題を考える入り口を提示する~
ことが本書の目的である、とも書かれていたので (アレ?

困ったオーディエンスへの苛立ちが、冷静な執筆を削いだ感はぬぐえません


自分が暮らすこの地について理解を深めたいのとあわせて
新潟に居た頃の自分が読んだら?
福島にゆかりのない知人たちが読んだら?
などと思いながら読んだのですが

データの取り出し方について違和感のある部分もあったし
今回あえて「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」「子どもたち」
という「ビッグワード」に頼ることを避けて福島を語る、という挑戦をされたということで
当然の結果ですが、コレが全てではない、という印象が先立ちました

それらの「ビッグワード」によって、
震災以前からある問題や、全国的に地方に共通する問題が正しく理解されず
福島県の本当の姿がわかりにくくなっていたり、無知・誤解によって
外の者が絡みにくくなっている、という指摘は全くその通りかもしれません

が、その禁じてのために、逆方向に、照射されない日陰が生じた感があること
(それも著者「折り込み済み」のようですが
を承知で読むのがよろしいかと思います


「福島」を漢字で書くか片仮名で書くかというところでは
(私は福島第一原発事故由来の社会問題を総じて指す時はカタカナ表記にしていますが
著者が今回あえて漢字表記にした意味を前述の上野千鶴子さんとの対談で理解するに・・・

原発・放射能問題のイメージ以外の部分について、正しく伝え直すことに特化した、
という意味で「フクシマ学」でなく「福島学」なのだと思えば
内容の偏りもコレでよいのかもしれない、と思います


ただ・・・ 
実際に現在の福島を語る上では
「ビッグワード」に代表されるテーマを避けるのは
無理があるのではないか、というのが実感です

まだまだ「ビッグワード」にまつわる部分で少なからず迷い、悩み
それぞれの立場での苦労・心労を振りはらいながら、努力を絞り出し
住まいや食生活や子育てを考え、今日を生きているひとたちがいる
それらの根底にある問題の実態に触れること無しに、この地を語れるのかな?

誤解や過剰反応やデマ、極論が混在していることの問題については
別のところで語られるべきで
(それこそ「フクシマ学」の一項目にできる事象かもしれません

「ビッグワード」を避けることなく、
むしろそれを前提条件として正面から捉え直した上で
そのために見えにくくなっている側面をいかに正確に露わにできるか、
という苦悩こそが「福島学」の一端だったりしないかな・・・


な~んて
いわき市ご出身で、積年のフィールドワーク等を通じて
震災前後の県内のことは誰に劣らずご存知のはずの著者の
意図あっての「はじめての福島学」のありようなので・・・
さしでがましくごめんなさいねーーー

今後の展開をなんとなく気にしつつ

今回の結論としましては
ボリュームと執筆エネルギーのさき方として・・・

やっぱ、前半、ダメでしょう (-"-) 

というのが私の感想でした(。-_-。)


しかしながら
そのウンザリな前半部分こそが
開沼さんの苦悩のカタチともいえま

ビッグワードを避けたところでやはり苦悩するという( ̄ー ̄)



ビッグワードに頼らない、というだけで
避けてなんかおらんねん!避けられへんねん!
と、言わずもがなで示してくださっているのだとしたら・・・

まわりくどい手法~(/_;)
周回遅れで了解ですけども(。-_-)


2015年9月13日日曜日

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』

今年読んだ中で一番怖かった本
矢部宏治 著 『 日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 』



娯楽としてのスリルもホラーも必要としない私は
現実の方がよほどコワくて震える

これは
たたかうべき相手が大きすぎやしないか

これではパーツ、パーツで闘争を繰り広げたところで
この国のありようは変わりようがないのではないか

読んだがゆえに
安保関連法案をめぐる国会審議には、憤りと同時に虚しさを感じていた
(もちろん誰がどういう発言をし、どう議論するかは決して無意味だと思わないので注目していたけれど

本書にて解説されている
日本国憲法よりも「日米安保条約」や「日米地位協定」の方が上位法である
という事実 (私は知らなかったよーーー(>_<) 
( 「安保」はともかく「地位協定」の意味(問題)をちゃんと考えたことがなかったよーーー(/_;)
を、国会議員たちは周知しているから概ねああいう流れになるのだろうか

そして「官僚」という私には全くよくわからなかった存在について
とりあえず外務省・法務省に関してはそういうことかと
少しだけ断片的に理解した内容は
この国の深部の闇への恐怖を増加させた

国民の知る由のない密約の存在や
特定秘密保護法によってこれから更に国民に知らされることのない重大案件
が増えていくのかと思うとクラクラする


それでも
冒頭「はじめに」に書かれている

~それぞれの持ち場で最善を尽くす義務がある~
~崩壊し始めた「戦後日本」という巨大な社会を、少しでも争いや流血なく、
次の時代に移行させていく義務がある~

というくだりに共感する

見えないものへの恐怖から抜け出すためには
更に学び、知り、この時代に居合わせたひとたちと理解しあうべく
タブー無しに語り合うほかないのだろう
と思う



安保関連法案可決後の街頭インタビューなどのニュースでは
賛成意見の人の中に
個別的自衛権と集団的自衛権をごっちゃにしているひとが
少なからず居ることが見てとれた

それだけ理解が深まっていないということだけど
それは同時に
その辺りを明らかにしない新聞や報道があることの
あらわれでもある

原発報道もだけど、何につけ
日常的に得ている情報媒体によって
現実の見え方はうんと違う

いろんなひとと話したり読んだりすると
自分の無知さを痛感し、時に驚愕するけれど

「知らなかったらよかった」なんてことは何も無く
のんきでいられなくなるコワさ以上に
知るのはやっぱりうれしいことだと思う

2015年9月12日土曜日

『パティシエ世界一』

バターだの生クリームだのチョコレートだの
洋菓子はもうそれほど所望しなくなったのだけれど

このところむしょうに食べたくなるのは・・・
朝ドラ「まれ」のせい(。-_-)

製菓指導・監修をしている辻口博啓シェフの本(聞き書き?)を読んだら・・・

モンサンクレール行きた~い(≧∀≦) 
シェフのケーキ食べた~い(≧∀≦)
パンも食べた~い(≧∀≦)


とはいえ今年こそは久々に、と思っていた東京には
まだしばらく行けそうにないので
行きたい場所リストに入れておくことに

宴たけなわのあのドラマがどこに着地するかはさておき

途中から見だした私には、主人公・まれが
なんで「世界一のパティシエ」になりたいのかわからないし
「世界一」という評価自体、遠すぎてあまりピンとこないのだけれど

辻口シェフが世界一を目指した動機はシンプルに理解できたし
それを本当に成し遂げてしまうって・・・

どんなんなん☆

成し遂げるまでに注いだ努力は想像も及ばないけれど
彼にとってはスタートラインとしての「世界一」だったことは
いわずもがなで想像できます


かつて
高校を卒業したら製菓専門学校に行く
と言っていた女の子が
辻口シェフのことを話してくれたことを思い出します

あれから4年くらい
もう卒業して現場にいるのかな。。。

今、何を思っているだろう

楽しくも辛抱な頃合いかもしれない

細かった腕は
だいぶたくましくなっただろうか

思いもしなかったことにどんどん出会って
変わっていくのが人生だから
何者になっていても彼女は自身の輝きを磨いているに違いなく

おぼろげな夢のはじまりを臆せずに語ってくれた彼女と
またいつか
会えるといいな


はにかんだ笑顔を想い出しながら
彼女が憧れていた辻口シェフのケーキを
食べたい

そして私は
人生のめぐりあわせのしあわせを噛みしめながら
この先したいことに
想いをめぐらすんです ( ´艸`)


そう、いつか
モンサンクレールのカフェでケーキなど食べていられるとしたら
きっと健康で平和に暮らせているということに違いなく

前の日には想いもしなかったことに足元をすくわれたり
しないと誰も言うことなどできないと
痛感するけれど

未来の楽しいことも想おう
未来が明るいことを願おう


2015年9月4日金曜日

『火花』又吉直樹


これを、
芸人さんでないひとが書いたならスゴイな
と思いながら読んでいた

あ、これから読もうという方はスルーでネ^-^/
先入観無しに読むのがイチバンです


私は小説好きというよりお笑い好きの
どちらかというと芸人・又吉好きなので
小説として純粋には没頭できなかった感アリ

「芸人・又吉」の言葉だと思うからこそ
いい塩梅で理解できた部分があったと思うし
リアルでないことを勝手にリアルに受け止めたりしたかもしれない

芸人でないひとがこれを書いたとしたらスゴイと思いつつ
読み進めるにつれ
これらを芸人としての下積み経験もないひとに言われたくはないかもしれない
と思ったり
でも経験してないことを書けるのが小説家だよねー
と思ったり
でも又吉が書いたのでなければ読まなかっただろうな
とか

もう雑念だらけであったけれども

それでも
「最後のライブ」の会場に
私は、居た



次はどんなことを書くのだろう、という私の興味は
「芸人・又吉」が次は何を発するのだろうというテのもので
よりすぐれた小説を読みたいというものとはちょっと違う

芥川賞受賞後にメディアで語っていた「2作目」へのプレッシャーや
2作目こそが本領、と見られてしまう現実はやむをえないとしても

ほぼ日で糸井さんが又吉との対談↓ 
http://www.1101.com/matayoshi/index.html

で言っていたところの
2作目を書かない権利は作家にある
ということとは違う次元に
もう今の又吉は行ってるんじゃないかと思っている

本当はもっと突拍子もないところにいるのを
理解してもらいやすい、喜んでもらいやすいカタチに整えるという
ある意味、自らを枠の中に納めるというスタイルを

といってもはみ出るので
お笑いにおいては既に枠を越えたところにポジションを得ているし
越える自由も得ていると思われるけど

文学においてはいつ、どこに向かって、越えるのか
越えた先って、どんなんなん?(p゚∀゚q)

その次なるスタイルを私が好むかどうかはさておき
(私はそういうテの「ファン」ではないので
(でも多分、路線は好きだと思うので

彼の次なるクリエイトが
純粋に、非常に、たのしみなのであります


気なる芸人さんだからといって
小説を書いたら即、読む!
というほどの文学好きではないワタシ

糸井さんとの対談で読みたくなって
すぐに予約(書店ではなく図書館に(。-_-)
したのはよかったね~

それでも手元に来るまで約5カ月!かかったけど
その後、本書は芥川賞受賞作となり・・・
只今の予約者数は300余名!
(市内図書館蔵書は12冊)

そんなん待たんと買うてください(-_-)

て言われるね~^-^:

アナタならどうする


2015年4月26日日曜日

群ようこ『ゆるい生活』

読んだら誰しも
こんな女医さんに出会いたいーー と思うことでしょう (。-_-)ワタシも診てほしい~


水分を溜めてしまう体質だと診断された群さんが
まずは体内にたまった不要な水を抜くための処方をされ
指導された食生活の改善をがんばって実行し
痛いリンパマッサージに耐え、不調から脱していくのを読みながら・・・

私自身は、不調と言えば慢性になってしまった肩コリくらいで
今後の参考に~ なんて思っていたのが

冷え性と脚のむくみを、慢性すぎて不調の数にも入れていなかったことに気付き
もしかしたら根本の共通する、放置しないで対処すべき問題かもしれない?
と思い至ったり
ちょうど読んでいた項目と類する面白い出来事もあって、とても興味深かったです


4月16日
中越地方平野部の桜は待っていてくれました!満開!


先頃、帰省ついでに今年2度目の山登りをして、1度目より大汗をかいて
温泉に入り、何食か山菜を食べる機会があって
家族ともたくさんしゃべって、気持ちも晴れて…
(代謝がよくなることのオンパレードだったのかな?

こちらに帰ってから2日ほど、腸内が、なにがどうした??という
群さんの山菜の話に通じるような状態だったり
こんなに飲んでないよ?と思うような、ビックリするほどの水分排出があって

山登り後、まさかの体重増加にガックリしていたのだけれど
1日くらい、いーーーっぱい水が出たのちに
想定内のウエイトに下がったところを見ると・・・

もしやこれがウワサの水太り!?(@_@;)

脚のむくみも取れてビックリ  (運動をしないとまた戻るのだけど
いわゆる春先のデトックスができたのでしょうか?


相方愛しの弥彦山へ

山登りの時は、実際に水分が奪われるので補給した方が良いと思うのだけど
下山後も意識して水分を飲むようにするのは・・・
夏場はともかく今回はあきらかに飲みすぎだったのかも 
 (お酒を、ではないですよ(。-_-) 念のため

一日に水2リットルは飲みなさい、なんていう通説も (私は絶対飲めないけれど
誰もに該当するわけではないみたい

特に冬場は身体を冷やすので水はもってのほか
飲むなら暖かい番茶か「さ湯」を、とマクロビの先生も言っていたっけ

人はそれぞれに持って生まれた体質・性質があって
群さんが処方された漢方薬も、その時の群さんの状態に合わせたもので
自覚外のこともたくさんあるというので・・・

やっぱり一度、診てもらえるところを探そうかな~ と思うのでした
私の身体の中のめぐりは、どんなことになっているやら 


八枚沢からの登山道の斜面は
ニリンソウやスミレのお花畑でした

2015年4月25日土曜日

添田孝史『原発と大津波~』

福島原発告訴団 の集会での講演をラジオで聞いて、読みました
添田孝史 『原発と大津波~警告を葬った人々』


前書きと後書きを読むだけでも
今回の福島第一原発事故が防げたかもしれない人災であったことが
読みとれますが・・・

これらの内容って、福島県民の間では周知のことなのかな?
知ったらいきどおっちゃうよね?
(私は憤りまくりましたが。。。

放射能汚染で暮らしの安全や楽しみを奪われてしまったのは
福島だけではないわけで
人口の多い東京・北関東はじめ、東北を含む一円の人達(新潟含む)が
本気でいきどおりを表わせば (例えば投票行動でね 
国ももっと動かざるを得ないと思うのだけど。。。
 

何にしろ危険は過小評価
対策は目先のコスト優先 
(という組織的問題の具体的調査内容が書かれています
結果、大惨事が起きればそ知らぬ顔で「想定外」
終わりのないしりぬぐいには驚愕(額)の税金投入・・・
でもやりきれないので、それもほどほどの最小限に
ただちには現れない健康被害が現れた頃には、原因は特定できませんと・・・
挙句の果ては(過剰な)避難生活によるストレスが原因、て・・・
えーーーー (@_@;) まさかの自己責任??

こんな運営・事故対応で再稼働って・・・ どんな理屈をつけてもありえない
 
新基準ができようとも
福島原発事故の解明無しに刈羽原発再稼働はありえない
という泉田新潟県知事の明確な表明は
極めてまっとうだと思います

ありがたいです


福島原発告訴団 の「2015年告訴」は、HP で報告されているとおり
先頃、東京地検で不起訴処分となり、東京検察審査会に不服を申し立てる予定
先に不起訴処分の出た「2012年告訴」も不服申し立てをして
目下、再審査がなされているとのこと

先日の、高浜原発3、4号機の再稼働差し止め仮処分決定の判決や
川内原発1、2号機の再稼働差し止め請求却下の判決、
このところのメディアと政府が(民と権力の)「攻防」にならないこと、
などへの反応が、もっと世間でざわめくといいな

ニュースにもならず末梢されることが一番のモンダイ

「三権分立」とか「国民主権」とか
「言論の自由」や「表現の自由」は権力に対する民のためのものなんだよーーー
とか、たまに言ってもらわないと。。。

そうだった!(@_@;)

ってね
おかしな現実ばかり見ているとマヒしちゃうん


4月12日
この日はいいお天気だったけれど
両親がやってきた翌日は残念ながらまた冷たい雨


ベランダにある唯一のプランターは
すっかりお手入れ不行き届きで野放しなのに
ムスカリは今年もけなげに咲いてくれた

球根は取りまとめるとして、さて、あとはどうしようかね…


2015年2月8日日曜日

ニコ・ニコルソン

『ナガサレール・イエタテール』



東京で暮らす彼女の実家は宮城県の海沿いの町
津波被害が甚大だった地域でおかあさんとおばあちゃんは
自宅1階で津波に呑まれながら九死に一生を得たものの・・・

変わり果てたふるさと・・・
避難生活の中での健康状態の変化・・・
それでも、帰りたいというおばあちゃんの願いを叶えるべく
家を再建したイラストレーターさんの復興記録


私が知る由もない被災当時のこと・・・
避難時のこと・・・
復興に向けて迫られる決断のこと・・・


戻りたい気持ちって。。。

こういうことなんだなぁ。。。。


***************

避難生活のなかで「プチ痴呆」になったおばあちゃんの介護
がん告知されたおかあさんの治療を考えれば
自分が暮らす都会にマンションを、という選択肢もよぎるのだけど・・・

本当の「再建」て・・・

「家」って・・・
「家族」って・・・ 「母子(おやこ)」って・・・



マンガで表わせるって素晴らしいなぁ・・・ 

言葉にしたらどこか違ってしまうものが

こんなふうに
目の輝きや仕草で
伝えられるのだものねーーーー